9/15(水)昨日の あっぺとっぺ・・・続き
虫の嫌いな人 は、こんなお話もご参考に 虫好きになってみては如何でしょう
そして 虫と自分を比べてみるのも・・・
以下 絵本作家・昆虫学者 澤 口 たまみ 氏 講演の前回から続きから
【虫に助けられて生きてきた】
講師自身,生き物を愛する人生を送ってきた。なぜなら,虫は『死ぬことが運命で,生きていることが奇跡である厳しい生存競争を毎日送っている』ため,虫を見ることで励まされている気持ちになれるからである。
【精一杯生きる虫たちの例】
・毛虫⇒道路に対して不思議と直角に渡る。なぜかと考えたところ,両触角がアスファルトの暑さを感じ,両方が同時に暑さを感じた時に道路を横断するので直角に渡る。
・ハチ⇒羽を高速で動かすためのおなかの筋肉が発達している。ミツバチは筋肉を振るわせられるが,肩関節を外し,羽を動かさないようにし、自分で扇風機のように涼むことができる。反対に、羽を震わせることで体温を上げることも出来るため、スズメバチを囲んで殺すことが出来る。虫は38度加えれば必ず殺せる程、暑さには弱いものである。
このように一生懸命生きている虫たちを見ることで毎日「生きているよ」「がんばれがんばれ」と応援されているような気持ちになり,すごく助けられながら生きている。悲しいことがあっても,空を見れば心が晴れ,花や虫を見て癒される。
「虫に助けられて生きてきた」「自然界を自分の居場所と思えるようになる」ということが,子どもにとってものすごく大事なことである。なぜなら,自然の中で遊ばない子が増えれば増えるほど,世の中(社会)と家,学校と家に居場所が少なくなる。しかし,「自然の中にいて気持ちいいと感じられる人」「自然が自分の居場所だと思える人」「人間以外の命でも大切にできる人」は,友達が多い。なぜなら,人間だけがこの世の友達ではないと思えるからである。それを考えた時に,自然で遊ばせ,宇宙・地球という自然の中で生きている事を感じさせ,自然を見せてあげることが大人の役目である。この世に生きる意味のない虫はいないのである。
【 違 い 】
虫嫌いな人に質問をすると,「姿かたちが気持ち悪いから」が多い回答である。気持ち悪いと思っている姿形は,生き抜くための工夫である。気持ち悪いのではない,「違い」である。例えば,カエルである。水辺に住むようになったカエルと,野原に住むようカエルでは,水辺に住むカエルには泳ぎやすいよう水かきが,野原に住むカエルには乾燥しないよう皮膚の表面に粘液ができるようになった。「気持ち悪い,変だな」と思うかもしれない生き物のあらゆる姿かたちと行動には,その生き物なりの理由がある。それは,「気持ち悪い」のではない,「違うだけ」なのである。例えば,違いの特徴として,「小ささ」が挙げられる。背骨が無いから虫は小さいが,柔らかくては素早く動くことはできない。従って,骨のかわりとなるように「皮膚を固く」した(カブトムシのよう
に)。しかし,それによってそれ以上の大きさには成長できない。よって小さいのである。
「虫が何を考えているかわからない」と言う人がいるが,それは小ささゆえである。実際に脳みそは小さく,1センチに満たない所に脳みそがある。しかし,人間と細胞一つ一つは同じ。脳みそが小さいから余分な細胞が無いため,くよくよしたりせずに,瞬間的・瞬発的に生きている。瞬間的,瞬発的に動く例として,「カマキリ」がある。視力は良くないが,動くものだけに良く反応する。目の前を動くものは十中八九「エサ」として認識し,鎌に手ごたえがあれば「かじる」という思考回路である。よって,「エサだろうか?」と考える余裕がカマキリの脳にはない。考えられるのは,脳に余裕のある人間である。
昆虫は,人類と同じように地球上に繁栄している。しかし,繁栄の仕方は異なっている。人類は,自分たちが住みやすいように環境を変えながら生きている。しかし,昆虫は住みにくくなったら移住し,そこには,新たに住める虫が移住してくる。他の虫と地球上全体の環境をシェアしているので,人間みたいに開拓しなくてよい。何でもできる手,何でも食べられる口は必要ない。自分が生きている場所,食べているもの専門家となっていったので,「違い」として現れているのである。